Nishane Hacivat|弾ける果実と、伸びる背筋
パイナップルが弾けて始まり、オークモスで静かに終わる。Nishaneの代表作Hacivatを、つけたときの情景と正直な弱点とともに書いた一本。
最初のひと吹きで、思わず顔が上がる香りがある。NishaneのHacivatはその類だ。パイナップルとベルガモット、グレープフルーツ。三つがほとんど同時に弾けて、鼻先で光がはねる。甘ったるいわけではない。むしろ酸のきいた、輪郭のはっきりした果実。夏の朝、まだ気温が上がりきる前の空気に似ている。この最初の数分だけで、この香りを好きになる人はきっと多い。
ただ、香水はトップだけで語れない。というより、トップで惚れてベースで別れる、という失敗を私は何度もしてきた。だからHacivatも、腕につけたまま一日を過ごしてみる。
果実が引いて、芯が残る
三十分もすると、あの弾けるような明るさが少し落ち着く。かわりにジャスミンがそっと顔を出し、パチョリが下から支えにくる。パチョリというと土くさい重さを想像する人もいるかもしれないが、ここではそうならない。果実の甘さに一本、芯を通すような役目に徹している。派手さが引いた分、香りに背骨ができる感じ、と言えばいいだろうか。
そして時間が経つほどに、ベースのオークモスとシダーが表に出てくる。オークモスは樹皮についた苔のような、湿り気のあるグリーン。シダーは乾いた鉛筆の削りかすのような木の匂い。この二つが、朝あれだけ賑やかだった果実を、静かな午後の色に変えていく。派手な入りから落ち着いた締めへ。移り変わりそのものが、この香水の見どころだと思う。持続はおよそ8時間。朝つければ夕方まで、ちゃんと連れ添ってくれる。
強さは、控えめではない
拡散力は5段階で4。つまり、そこそこ飛ぶ。ここは正直に書いておきたい。Hacivatはトップがかなり元気なので、朝の満員電車や、狭い会議室で大量につけると、少しばかり主張が過ぎる。清潔感のある香りだからこそ、量を誤ると清潔感が裏返って「香りすぎる人」になりかねない。
使いどころとしては、ワンプッシュか、多くて胸元と手首に一吹きずつ。それで十分に一日もつ。仕事やオフィスでも気負わず使えるユニセックスな香りだが、それは適量を守った場合の話だ。逆に、香りは静かに纏いたい、ふとすれ違ったときだけ気づかれたい、という人には最初の爆発力が少し騒がしく感じられるかもしれない。そこは好みが割れるところ。
誰の袖口に合うか
季節でいえば春から夏、それも日中がいちばん似合う。シトラスとグリーンの清潔感は、湿度の高い日本の夏でも重くならずに立ってくれる。冬の夜や、しっとりした場に合わせるには、少し明るすぎるかもしれない。そこは無理に通年で使おうとせず、季節の香りとして割り切るほうが幸せだと思う。
向くのは、きちんとした場で、でも堅苦しくなりすぎたくない人。スーツにもTシャツにも、意外なほど馴染む。袖口からふと香った瞬間に、自分の背筋がわずかに伸びる。他人のためというより、自分の姿勢を整えるための一本、という使い方が私にはしっくりきた。逆に、個性の強い、記憶に焼きつくような香りを探している人には、Hacivatは上品すぎて物足りないかもしれない。優等生であることが、この香りの美点であり、同時に限界でもある。
手に入れるということ
参考価格は約30,000円。ニッチ香水としては標準的だが、気軽に試し買いできる額でもない。国内のセレクトショップ、あるいは並行輸入で手に入る。可能なら、店頭で紙ではなく肌につけて、あのトップからベースまでの移り変わりを一度体験してほしい。この香水は、変化していく時間ごと買うようなものだから。
Nishaneというブランドそのものにも、Hacivat以外に静かな良作が多い。気になったらブランドの他の一本も覗いてみるといい。トルコの、まだ日本語の情報が少ないこのメゾンは、掘る価値のある鉱脈だと思う。
朝つけて、夕方、ふと自分の袖から苔と木の匂いが立ちのぼる。あの果実は、いつのまにか静かな緑に姿を変えていた。一日を一緒に歩いた香りだけが見せる、その終わり方が、私はけっこう好きだ。