French Avenue Liquid Brun|樽の底で眠る甘さ
シナモンとカルダモンから始まり、バーボンバニラとプラリネの甘さへ沈むコニャック系グルマン。秋冬の夜に寄り添う一本を、つけた時の情景とともに正直に書く。
十一月の恵比寿。夜八時、外気は十度を切りかけて、コートの襟を立てる。予約したレストランまで駅から五分。手首の内側から、シナモンと焦げた砂糖のようなものが立ちのぼる。まだ冷たい空気に、それだけが体温を持っている。
French Avenue の Liquid Brunを、その夜に選んだ理由は単純だった。寒くて、少し甘えたい気分だったから。
スプレーした瞬間、台所ではなくバーの記憶が立つ
トップはスパイスから来る。シナモン、カルダモン、そこにベルガモットとオレンジブロッサムが薄く光を差す。甘いスパイスと聞くと菓子を想像するが、この立ち上がりはもっと乾いている。焼き菓子の生地というより、暖炉のそばで開けた古い酒瓶。コニャックや樽、という比喩が海外のレビューでよく使われるのも、この最初の数分のせいだと思う。
華やかさは長くは続かない。柑橘とオレンジブロッサムはあくまで前触れで、十五分もすれば主役の交代が始まる。
三十分後、甘さが体温に溶けはじめる
ミドルでバーボンバニラとエレミが出てくる。ここで香りは一気に丸くなる。バニラといっても白くて軽いものではなく、樽で寝かせた琥珀色の甘さ。エレミの樹脂っぽいニュアンスが、甘さが単調になるのを防いでいる。
そしてベース。プラリネの香ばしさ、アンブロキサンの温もり、グアイアックウッドの乾いた煙、ムスク。ここまで来ると、もう菓子でも酒でもなく、ただ「甘くて温かい人の気配」になっている。肌に近づかないと分からない距離感の甘さ。抱きしめたときにだけ届く、みたいな。
この一連の移り変わりが、四千五百円前後で手に入る。French Avenue はUAEのブランドで、キリアンのエンジェルズ シェアの系統として海外で語られることが多い。系統として、と書くのは、そこに触れておくのが誠実だと思うからで、比べて優劣を語りたいわけではない。手頃な価格で、この方向の甘さを楽しめる。それで十分に価値がある。
拡散はほどほど、けれど夜には十分すぎる
濃度はEDP。甘いグルマン系にありがちなことだが、つけすぎると空間を占領する。ワンプッシュ、多くて二プッシュで止めておくのが賢い。近づいた人がふと気づくくらいの距離で、ちょうどいい。
使いどころははっきりしている。秋冬の夜。デート、ラウンジ、少し暗い照明の店。逆に言えば、それ以外では扱いにくい。真夏の昼にこれをつけると、甘さが暑さと喧嘩して重くなる。オフィスの日中も、この密度の甘さはやや浮く。季節と時間を選ぶ香りだと、はっきり書いておく。
向く人、向かない人
向くのは、甘い香りに抵抗のない人。バニラやプラリネの菓子的な甘さを、色気として着られる人。温かみのある香りで距離を縮めたい夜がある人。そういう人には、価格以上に働いてくれる一本だと思う。
向かないのは、爽やかさや清潔感を軸にしたい人。甘い香りが得意でない人には、これは重く感じられるはず。グルマン系そのものが好みでないなら、無理に踏み込む必要はない。甘さは、体質のように合う合わないがある。
入手については正直なところ、少し面倒だ。国内の正規取扱いは確認できず、Amazonなどの並行輸入が中心になる。店頭で試してから、とはいきにくい。ブラインドで買うことになるので、この記事の描写を頼りに賭けるかどうか、という話になる。甘い樽の香り、と聞いてわくわくするなら、たぶん外さない。
手首に残った甘さは、店を出て夜道を歩く頃には、ほとんど自分の匂いと見分けがつかなくなっている。それでいいのだと思う。香りが自分に馴染む瞬間を待つのも、一本と付き合う楽しみのうちだ。自分に合う甘さの温度がまだ分からないなら、香水診断で輪郭を掴んでから選んでもいい。